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RL Mag – Pink Pony 2020 ピンク ポニー | ラルフ ローレン公式オンラインストア

    カルチャー

    The RL Q&A: Voices of Pink
    Pony 2020

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    カルチャー

    THE RL Q&A: VOICES OF
    PINK PONY 2020

    今回RL Q&Aの特別版として、私たちはPINK PONY 20周年記念キャンペーンに登場する7人のがん克服者と支援者をお招きし、彼ら自身のがんとの闘い、そして考え方についてお話を伺いました。

    Pink Ponyは今年20周年を迎えます。Ralph Laurenが行っているこのグローバルな取り組みは、がんとの闘いにおいてスクリーニング、早期発見、治療、教育、そして患者ナビゲーションをサポートすることを目的として始められました。今回の20周年を記念して、Pink Ponyがこの先も前進していくために、私たちは36人の男性と女性に、この、がんとういう病気に関する個人的な経験についてお話ししていただきました。がんを克服した方、支援者、活動家、そして医療従事者の方々が、強さ、勇気、そして自分の視点から戦うという揺るぎない決意について、それぞれのストーリーを語っています。
    また、Zoomによるインタビュー、個人による録画、そしてニュージャージー州で行われた撮影には、家族、友人(そしてこの機会によって生まれた新たな友人関係もあります)が集まり、それぞれの声を聞かせてくれました。その中の7人の方のストーリーを以下の特別版のRL Q&Aにまとめました。すべてのストーリーは、愛、そしてがんのない明日という共通の使命で繋がれています。リンパ腫を克服した、ペンシルベニア州在住の24歳のニーナ・ルーカーが言うように、「愛は人々の顔に降り注ぐ太陽」なのです。自身の光と周囲の人々の光に包まれながら、これまでになく明るく輝いている人たちからの、元気の出るメッセージをご覧ください。

    DR. IBRAM X. KENDI

    イブラム・X・ケンディ博士は、ボストン大学の人類学の教授です。「アンドリュー・W・メロン財団」における教授、そしてボストン大学反人種差別研究センターの創設者にして、センター長でもあります。彼は「Stamped From the Beginning: The Definitive History of Racist Ideas in America」など、多くの本の著者です。同書は、全米図書賞ノンフィクション部門を受賞しているほか、『New York Times』ベストセラーの第1位に3度輝いています。2018年1月、彼はステージ4の結腸がんと診断されました。

    がんとの闘いはどのようなものでしたか?

    イブラム・X・ケンディ博士(以下IK):私の母は乳がんを患っていました。私の妻も30代半ばに乳がんと闘っていました。私は2018年1月にステージ4の結腸がんと診断され、その後、6か月の化学療法を受けました。そして、2018年8月に手術を受けました。幸いなことに、それ以来私は元気です。でも、今ここに立つことさえもできないのではないかと思っていた時期がありました。

    がんからどのような人生の教訓を得ましたか?この経験を振り返ってみて、どのようなことを学びましたか?

    IK:闘うことがどれほど重要かということです。私たちは国家の中で人種差別と闘う闘士です。また、人種差別、性差別、同性愛嫌悪などさまざまな形の偏見に対する大きな闘いの中で長年生きてきました。私たちは文字通り、その戦場にいるとき、人間のために闘っています。それと同時に、私たちには個人的な闘いもあります。私たちは自分自身のために闘う、自分だけの闘士にならなければなりません。そしてその闘いに勝てたなら、つまり、回復することができたなら、多くの人々の命のために闘う必要があります。

    この対立の時代に、私たち全員が同じ家族の一員であることを認識し、ひとつになるにはどうしたらよいでしょうか?

    IK:愛の大切さを提唱しているPink Ponyは、すばらしい活動だと思います。いろいろな意味で、人を救うのは愛だからです。愛とは行動です。確かに、愛は私を救いました。実際に私の妻は、私の意思を無視し、私を引きずって大腸内視鏡検査を受けに行かせました。当時多くの仕事を抱えていた私は、もしかしたらその2か月後まで大腸内視鏡検査を受けられなかったかもしれません。あるいは、その私と同じく忙しく大腸内視鏡検査を受けれずに、2ヶ月後に検査を申し込んだ人がいたのではないかと思っています。そして、その2か月が私たちの生死を分けたのではないでしょうか。
    今の医療制度は愛情深いものではありません。患者に共感せず、他人として見ている医師が確かに沢山います。これは問題です。私は最近、米国で公衆衛生のために費やされるのはたったの2.5%であるという記事を読みました。そう、2.5%です。世界を見まわせば、50%、または75%というところもあります。そうした変化が、私たちすべての人が闘わなければいけない病気の数をどれだけ減らすことができるか、想像できるでしょうか?

    DR. HAROLD FREEMAN

    がん外科医のフリーマン博士は、この分野で50年近くの経験を持ちます。彼はニューヨーク市のハーレムにあるRalph Lauren センターの共同創設者であり、アメリカがん協会の前会長、コロンビア大学の外科名誉教授でもあります。また、彼は以前、ハーレム病院で外科部長を務めていました。1990年に、アメリカがん協会は、Dr.Harold P. Freeman Awardを設立しました。これは、格差をなくし誰もが時宜を得た診断と治療を受けられるよう設計された患者ナビゲーションモデルの提唱の先駆け、ハロルド・P・フリーマン博士の広範な業績を称えるために設立されたものです。

    あなたは、がん治療における早期発見と治療のための闘いで重要なツールである患者ナビゲーションを発明した先駆者です。その過程はどのようなものでしたか?

    ハロルド・フリーマン博士(以下HF):1988年にアメリカがんセンターの会長に就任したとき、私は患者ナビゲーションと呼ばれる概念を考えだしました。医療システムは複雑であり、患者さんはその中で、経済的またはコミュニケーションの障壁に直面します。そうした状況にこそ、患者さんには支援および指導が必要であるというのが患者ナビゲーションの考え方です。そもそも、非常に複雑な医療システム自体が患者さんにとっての壁なのです。また、恐れ、不信感を抱き、感情的になっているため、障壁にぶつかることもあります。そこで私たちは、90年代初頭にハーレム病院で患者ナビゲーションと呼ばれるものを作りました。
    私は患者ナビゲーターと呼ばれる人々を手配し、彼らは直接患者さんの手助けをします。患者さんが診察を受けているとき、ナビゲーターはその場に同席します。私が患者さんを診察し、例えば「生検が必要です」と言ったら、ナビゲーターは患者さんを別の部屋に連れて行き、「先ほどの医師が言ったことを理解できましたか?」と尋ねます。多くの場合、彼らは理解していません。ナビゲーターは、「生検を受ける際に、何か問題となることはありますか?」と尋ねます。患者さんは「私は健康保険に入っていないのです」と答えるかもしれません。そうした場合、ナビゲーターの仕事は、患者さんが保険に入れるよう手配することです。多くの場合、医師として私は彼らの手伝いをする必要があるでしょう。あるいはこう言う患者さんもいるかもしれません。「私は怖いんです。医師を信用できません」。その場合、ナビゲーターは患者さんの恐怖と苦痛を軽減するために、彼らと個人的に向き合うようにします。こうして、システムを介した障壁の排除と患者さんのための時宜を得た行動は、患者ナビゲーションと呼ばれるようになりました。この過程によって、乳がんによる死亡率を大幅に減らすことができました。今ではこのシステムはどんながんや病気にも適用できます。

    人は誰かによるケアを必要とします。たとえ良いシステムと良い病院があっても、人は個人的な指導とサポートを必要とするのです。

    ー患者ナビゲーションに関するハロルド・フリーマン博士の言葉

    がんとの闘いにおいて、心の要素は非常に大切です。病気と闘っている人たちを、私たちはどのように総合的にサポートすればいいのでしょうか?

    HF:私が経験したハーレムでの治療では、ほとんどの患者さんは、優れたサポートシステムを利用できていませんでした。つまり、医師や外科医が診断を下す際には、何らかの形で、技術的に正しいだけではない方法を見つけなければなりません。私たちはもっと患者さんに寄り添う必要があります。私が気づいたことは、医師自身には患者さんを完全にサポートする十分な時間がないということでした。だから、医師もいくらかはサポートすることはできますが、それを手伝う他の人の手が必要なのです。この仕事で、ひとりの人を助けるためには、チームが必要です。
    人生自体が旅であり、がんとの闘いは人生の中の旅です。難しい旅になるかもしれません、あるいは、場合によっては旅をもっと楽にすることもできるかもしれません。ただ診るだけではなく、そして患者さんを1対1でケアしなければならないだけではなく、彼らの旅の最初から終わりに至るまでのコンセプトを私たちの心に留めておく必要があるということを徐々に私は理解し始めました。これは、医学における別の見方です。乳房のしこりや前立腺の血液検査などといった異常の発見から、ある種の終点に至るまで患者さんの行動を検討していきます。そこから、患者さんを次のステップへと進める必要があります。それは生検かもしれません。そしてそれは長い道のりであり、それぞれの道のりとは関係のないケアを行うシステムではなく、医師と患者の1対1の旅なのです。

    NINA LUKER

    ペンシルベニア州出身のニーナ・ルーカーは、当時23歳でした。ルームメイトのクリスティーナと共にニューヨーク市に住み、広告業界で働いていました。ノースカロライナ大学チャペルヒル校のディビジョンIのアスリートだった彼女は、自分が24歳でがんの診断を受けることになるとは想像もしていませんでした。診断により、彼女の世界は大きく揺らぎました。6か月前、新型コロナウイルス感染症が広がる少し前に、彼女は非ホジキンリンパ腫の一種であるステージ4のびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫と診断されました。現在は寛解しています。

    診断を受けた日とそのときの最初の気持ちはどのようなものでしたか?

    ニーナ・ルーカー(以下NL):私は自分の部屋にいて、ニューヨーク市の街の風景を眺めていました。主治医から電話があり、がんという言葉を聞きました。家族も別の回線で聞いていました。私が覚えているのは、電話を落とし、声を限りに叫んでいる自分の姿です。決して忘れられない瞬間です。しばらくして私はクリスティーナに電話し、彼女がやってきました。私はソファの上で胎児のように丸くなっていました。彼女は私を抱きしめ、希望を与え、私の感情のすべてを受け止めてくれました。彼女は、私が病気を乗り越えられるということを、真に信じさせてくれたのです。私はその瞬間に成長しなければなりませんでした。私は自分自身、家族、そして友達のために強くならなければなりませんでした。

    そして結果はどうでしたか。今のご自身についてどう思いますか?

    NL:病気との闘いの中で、私の心と体は本当に乗り越えることができるのだろうか?と疑ったことがありました。ほんの一週間前、私は寛解していることを知りました。今なら、自信を持ってこの精神的な闘いに私は本当に感謝していると言うことができます。私の人生で、この瞬間まで、私は何かを乗り越えられると自分を完全に信頼したことはありませんでした。良い知らせを受け取った夜の翌朝、目を覚ましたときのことを私は決して忘れないでしょう。体がベッドから浮き上がったかのような、すばらしい浮遊感を覚えました。そして、自由を、寛解していることを知ったというこの感覚を味わいました。ただし、寛解という言葉は重い言葉です。私のがんが完全に治ったことを意味するわけではないからです。がんが再発する可能性はまだありますが、現時点では、これが私がもぎ取った勝利です。

    女性は髪に愛着を持っていますね。あなたに与えられていたほかのすべてのものと同じく、あなたは自分の髪の毛を手放さなければなりませんでした。お父さんがあなたの頭を剃った後、鏡を見てどう思いましたか?

    NL:決して忘れられない瞬間です。自分の豊かな髪に手を当てたときのことを今でも覚えています。髪がなくなり、自分の一部がなくなったような気がしましたが、それでもこれが本物の自分なのだとも感じました。私は自分を飾っていたベールを取り去り、この外見を得たのです。私の生の姿がむき出しになったのです。髪を刈り終わった父がしてくれたことを私は決して忘れません。彼は私の頭にキスをしてくれました。それは特別な瞬間でした。なぜなら、自分は愛されている、受け入れられていると感じたからです。

    今、特に朝、そして夕方にしている、以前はしていなかったルーティーンはありますか?

    NL:私にとって朝は大切な時間です。日の出とともに目を覚ますことがよくあります。いつもというと言いすぎでしょうね。私は階下に降りて行き、コーヒーを淹れ、それを持って部屋に戻り、座って10〜20分間瞑想します。このルーティーンは、欠かせません。私は、このルーティーンが私にとても多くの光を与えてくれていることに気づきました。私は自分が望んでいることを明らかにし、恐れから抜け出すことができます。そして私は真の意味で初めて自分と向き合い、いつも注げているとは限らない愛を、自分に向けてあげることができるのです。

    G.E.M.

    グロリア・タンは、香港を拠点とするシンガーソングライターで、G.E.M.の名で知られています。上海出身の彼女は、2014年の歌唱コンクールI Am a Singerで2位に入賞し、一夜にして名声を得ました(2016年、彼女はアジア人アーティストとしてただ一人、栄誉あるForbes 30 UNDER 30に選出されています。2011年、G.E.M.は香港コロシアムで行われる自身初めてのショー(チケットは完売でした)の数週間前に祖母を膵臓がんで亡くしました。それ以来、祖母を偲んで、客席の最前列を必ず空席にしています。

    祖母のがんについて知ったときはどのように思いましたか?

    G.E.M.:私は19歳で、香港での初めてのコンサートの準備をしているときでした。突然、上海の祖父から電話があり、大好きな祖母が膵臓がんにかかったと聞かされました。それはさらに悪いことに、既に末期でした。私にとって、本当に信じられないことでした。ためらうことなく、私は上海に戻りました。祖母は私が来ることを知りませんでした。私は今でも覚えています。祖母は病院のベッドで目を覚まし、私がそこに立っているのを見つけると、びっくりしたようなほほえみを浮かべました。それから2週間、私は毎日祖母のベッドの隣にいて、歌詞を書いていました。祖母と話をしながら、祖母の回復と私が香港でステージに立つのを見られることを祈りました。なぜなら、祖母こそが私の人生に音楽をもたらした人だったからです。けれど、祖母はそれを実現することはできませんでした。この出来事によって、私は突然周りの人と一緒にいる時間の大切さをより感じるようになりました。

    普通に生きている人たちが、どのようにがんとの闘いを助けることができるでしょうか?

    G.E.M.:私たちにできることは、病気と闘っている人と一緒にいることです。彼らは試練に直面してはいるものの、一人ではないということを知る勇気を与えることです。その過程において、愛と時間は本当に重要です。私は、あたたかな時間こそが愛を与えることだと信じています。私の座右の銘は、「あなたがそれを変えることができないなら、それを満足して受け入れなさい」、という言葉です。愛は私に目的を与えてくれます。あなたががんと闘っているなら、希望があることを知ってください。私は毎日を、それが最後の日であるかのように生きることを学びました。「生活」と「生きること」の違いは、その意味を見つけるかどうかです。

    危機に直面したときの心の安らぎを作り出す最良の方法は何だと思いますか?

    G.E.M.:人は、自分が持っているもの、そして自分の人生の意味が明確になっているとき、突然あらゆる問題に立ち向かえると感じることができます。私はG.E.M.。私はシンガーソングライターです。私の名前、G.E.M.は、みんなを動かすことを意味しています。それこそが私が音楽を作る目的なのです。私にとって、時として歌をつくるプロセスは自己を回復させるプロセスです。それは私が困難な時期を乗り越えるための力です。

    DEBORAH JAMES

    英国の作家にして、キャスター、そしてYou, Me, and the Big C ポッドキャストのプレゼンターであるデボラ・ジェームズは、35歳でステージ4の大腸がんと診断されました。

    がんとの戦いに関して、今年はどのような年でしたか?

    デボラ・ジェームズ(以下DJ):2020年はかなり厳しい状況でした。新型コロナウイルスにより、がん治療の優先順位が下がり、治療の質が下がりました。しかし、Pink Ponyのようなキャンペーンによって、人々が協力して、特にがんを患っている人たちのために、この世界に良い変化をもたらそうとする愛の力を見ることもできました。がんとの共生はジェットコースターに乗っているようなものです。時には気分が高揚します。この素晴らしい世界で生きられる毎日をもっと愛し、感謝することを学ぶことができます。しかし時には、私も死に対する恐れや、愛する人との別れを考えて、ひどい気分の落ち込みをも経験したこともあります。私は一日一日、彼らのことを思いながら生きています。

    新たにがんと診断された人に何を伝えたいですか?

    DJ:新たにがんと診断されてしまったなら、参加なんかしたくなかったこのクラブへの入会を歓迎したいと思います。ここには、愛、サポート、連帯感、そして眠りにつけない夜中3時に感じる恐怖を共有できる大規模なコミュニティがあります。そこには希望があることを保証します。がんと共生する人々の希望、自分が持っていることすら以前は意識していなかった未来に生きる人々の希望があります。私もこのクラブの一員であり、そのことにとても感謝しています。私はあなたがあらゆる幸せ、そしてあらゆる愛に包まれながら、一日一日を大切に生きることを願っています。新たにがんと診断されてしまったあなたの手を、私たちはずっと握っています。皆さんに多くの愛を。

    この困難な年月を通じて、あなたの人生における哲学を一言で言うならば、何でしょう?

    DJ:私の哲学は「一日一歩」です。愛は私に希望を与えてくれます。私は愛が世界をより強くすることができることを、世界の人々に知ってもらいたいと思っています。私たちがお互いに愛情を持つことができるならば、多くの人が一緒に素晴らしいことを成し遂げることができることを世界中に知ってもらいたいです。

    PROFESSOR DR. MICHAEL BAUMANN

    ミヒャエル・バウマン教授は、放射線腫瘍医であり、ハイデルベルクにあるドイツがん研究センターの科学ディレクター兼センター長です。

    普通に生きている人たちが、どのようにがんとの闘いを助けることができるでしょうか?

    マイケルバウマン教授(以下MB):私たち一人ひとりは、予防と早期発見の対策を真剣に考えることでがんと闘う人々を支援することができます。さらに、私たち一人ひとりが、資金を寄付したり、優れた研究や医療に対して公に賛同したりすることで、がんの研究と治療の改善に貢献することができます。

    がんとの闘いについて人々に知られていないことは何ですか?

    MB:きちんと認識されていないのが、がんの予防と早期発見がいかに重要かということ。この部分が改善されれば、最大すべてのがんによる死亡数の70%を防ぐことができます。

    がんと闘っている人に知ってほしいことは何ですか?

    MB:私たちは、より良いケアを行うために必要ながん研究を行うことで、あなたに寄り添っています。

    人の本質とはどんなところに現れると思いますか?

    MB:彼らがどのように困難を乗り越えようとするかに現れると思っています。

    冨永愛

    冨永愛は、定期的にチャリティイベントや慈善活動に参加しているモデル。2003年に「Fashion Targets Breast Cancer」の日本初のスポークスパーソンとして、がんの治療・予防を熱心に提唱しています。

    あなたとがんとの関係について教えてください。

    冨永:最近、私の親友に乳がんの疑いがあったのです。彼女は数か月間にわたって検査を受け、その間、彼女は自分の人生についてより深く考え始めました。結局、彼女はがんを患っていませんでしたが、彼女のそばにいたことで私はがんがどれほど恐ろしいものであるかをより意識するようになりました。私たちの日々はとても忙しく、行動を起こすのは難しいかもしれません。Pink Ponyのような取り組みで、ファッションを通じて乳がんに対する意識を向上させることができるのは本当に大切なことです。

    あなたにとって、愛とは何ですか?

    冨永:愛は、困難や喜びを感じるときに人と人をつなぐものです。私たちは愛があるから生きることができるのだと思います。新型コロナウイルス感染症拡大により、かつては当たり前だったことがそうではなくなりました。でもその結果として今、私たちは以前よりも健康に気を配るようになっていると思います。明るく前向きに考え、愛する人と共に過ごすことで、私たちは精神的そして肉体的な健康を保つことができるでしょう。愛があるとき、あなたは決して一人ではありません。重要なのはそれだけです。

    あなたの人生における哲学は何ですか?

    冨永:「今日転んでも、明日は起き上がる」、という言葉です。